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2008/07/27
カテゴリ: 依頼原稿 : 

執筆者: senpuku (6:40 am)
東京は秋葉原で、無差別殺人事件が発生した。岩手・宮城では地震による被害が報じられている。報道に接する中で、前者のおぞましさ、また後者の痛ましさに、被害者とそのご家族の悲しみに思いをはせつつも、しかし厳然と、自分が自分の家族が被害者でなくてよかったという思いが心のどこかに潜んでいる自分にきづき愕然とする。

 他者の痛みを、我が痛みと受け止めるとは、口でいうほど容易なことではない。いやそれどころか人間にとっては不可能なことなのだろう。
 誰しも自己中心のモノの考え方は良くないこととは言う。しかし、本当に人間は自己中心を離れられるのか厳密にと問うとき、残念ながら人は自分を中心にしてしかものを考えられないことに気づくだろう。

 ものを考えるとは、言葉に拠り、アレかコレかと分別する(分けて区別して考える)ことである。しかしながら、この言葉が自分を中心に出来上がっていることに気づく人は少ない。
 こことは自分がいるところを指し、私とはあなたではないここにいる私を指す。当たり前ではないかと言うかもしれないが、その自分を中心に構成された虚構の世界を見て、人間を世界を理解したつもりでいるのがこの私である。
 そこでは、家族を失い涙に暮れる当事者としての悲しみは、どこまでも私の悲しみではなく、その人の悲しみでしかない。そこには他者の悲しみを共に我が事のように痛む心はおろか、自分が当事者でなくてよかったという、冷淡な思いさえ見え隠れする。いや見え隠れするというより、そこに居直ってさえしまいかねないような自分である。

 同悲同苦(どうひ・どうく)という言葉がある。釈尊が到達されたお悟りとは、自他の分別を超えて、他者の痛み悲しみを我がこととして共感できる境地とお聞かせいただいた。
 仏教徒とはその仏陀の境地をもっとも尊ぶべき世界と仰ぐがゆえに、そのお心に頭をたれてゆく人のことである。
 そのお心を仰げば仰ぐほど、自己中心を離れられないこのわが身の限界が知らされる。またおぼろげながらではあってもそれを痛み慚愧する心も。

 悲しみや苦悩に寄り添う心が仏様のお心なら、私が歩むこのお浄土への道は仏様へと私を育ててくださる道でもある。
 どこまでもどこまでも苦悩と悲しみがある限りそれに寄り添い救い遂げようというはたらきそのものと成られた南無阿弥陀仏の仏様を慕い歩む道である。

 己の人間なるが故の限界を見据えつつ、しかし仏様の同悲同苦のお心に聞き触れながら、そのお心に育てられながら、他者の悲しみに寄り添う道をおぼつかなくとも歩む人生を生きたいと思う。       住職
2008/04/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (1:40 pm)
上の標題は、百人一首の中、崇徳天皇の詠んだ歌の下の句である。
  瀬をはやみ
 岩にせかるる 滝川の
   割れても末に
    あわんとぞ思う

 一般には、想いを寄せる相手を慕う、恋の歌だと言われている。
 実は、自分がこの歌を知ったのは上方落語からであった。そしてその名も崇徳院という古典落語が、福井と大阪をロケ地として半年間、放映された朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」に挿入されていた。

 落語の「崇徳院」の話の展開を書く紙面の余裕はないので略すが、人の世に生まれた限り誰しも逃れる事の出来ない苦悩の一つに別れというものがある。仏教ではこれを「愛別離苦」(あいべつりく=愛する者であっても必ず別れてゆかねばならない苦悩)という。

 ところで、永久(とわ)の別れという言い方で人と人との別れを言い表す事がある。
 永久(とわ)の別れとは、もう二度と決して逢う事が出来ない、いわば永遠の別離である。人間世界のご縁はまさに無尽である。その中には、「ではハイさようなら」とあっさり別れることのできる出会いもあったろう。しかしそうでない、深いご縁の結びつきもある。
 しかし今生にいかにいとおしく不憫に思い思われた間柄でも、それこそ生木を割かれるように別れてゆかねばならない孤独の有様を無量寿経には
  「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」
    と説かれる。

 本来、人は孤独な存在であった。その孤独をまともに見据えるとき、耐えがたいほどの不安と寂しさにうちのめされそうになる私たちに、お浄土があるのだよ、大切な人なればこそ必ず逢える世界があるのだよと呼びかけてくださる方がいてくださる。

 人の世には様々な別れがある。しかし耐えがたい別離の私の悲しみに共感し、ともにその悲しみを悼んでくださる如来様のお慈悲が浄土となって結実し、私に届けられてあった。

 また必ず逢える世界がある、またお会い出きるその日まで、このいのちを精一杯大切に生ききって、あなたに胸張ってお会い出きるまでのしばらくのお別れですね。
 悲しみと寂しさに涙する中に、何にもまして支えとなり慰めとなりまた励ましとなってくださるお浄土が慕わしく仰がれる。     住職
2007/10/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (1:40 pm)
子供に対して、孫に対してその人生の健やかならんことを願わない親はないだろう。病に苦しみ悩み、経済的に苦労し、人間関係で神経をすり減らす人生を送って欲しいなどと願うはずもない。

 しかし、自分の人生がそうであったように、子供の人生にも孫の人生にも必ずそうした苦悩と苦労はついてまわることはさけられまい。なぜなら一人一人が別人格であり、その人にしか生きられない命だからである。まさに「独生・独死・独去・独来=独り生れ独り死し、独り去り独り来る。〜みづからこれをうくるに、代るものあることなし」。あるいは「独り来り独り去り、ひとりも随ふものなし」(いずれも仏説無量寿経の言葉)である。親といえども子供の人生に代わることは出来ない。

 後に続くものに対してぎりぎりのところで親は何を願うのだろうか。

 それは、たとえ苦悩の人生ではあっても、そのことで自分の人生をつまらないモノのように見なしたり、自暴自棄になり、自らのいのちを放棄することなく、逆境に立たされたとしても、その中から、涙を流しながらでもいい、溜め息つくこともあろう、しかしそのいのちを心豊かに全うして欲しいというものではなかろうか。
 うまい世渡りをするために、不都合なことが自分の人生に起こりませんようにと神仏に祈る、すなわち自分の欲望・願望充足のために宗教があるという宗教理解が圧倒的に多いのが現実である。その中にあり、真実の宗教とは自己の欲望充足の手段、道具ではないと親鸞聖人はきっぱりと宣言された。

 私以上に私の事を案じてくださってある方の願い、その心を素直に受け止めさせていただくとき、真実を持ち合わせていない自分に気づかされる。自分の欲望、煩悩に振り回され、その挙句が虚しくこのいのちを終わってゆかねばならなかったかもしれないいのちに、しかしぴったりと寄り添って下さる願いがあった。
 
 自己の虚偽性、煩悩性に気づかされるとき、それに気づかしめて下さった働きそのものが同時に私を真実なる方向に向かわしめる働きでもある。私のいのちを虚しく終わらせてはならないという願いこそ真実の親の願いでもあろう。

 繰り返す。宗教とは、自己の欲望充足の手段や道具ではない。
 自分にかけられたその願いにうなづく事が出来たのも私の力量ゆえではなく、願いそのものの持つ力のお陰である。護られるとは、苦悩の中にあってその苦悩すら私の人生に意味を与える大切な縁であることに気づかされる智慧が恵まれることにほかならない。
その智慧を通して見る世界は、苦悩や悲しみに満ちた世界ではあっても、しかし大切な尊い、そしてありがたい世界である。          住職
2007/07/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (1:50 pm)
りんどうホ―ルが建って丁度十年になった。振り返ればもう十年かという思いを禁じえない。竹内まりやという歌手の「人生の扉」という新曲が出た。歌詞の一節に「信じられない速さで時は過ぎ去ると知ってしまったらどんな小さなことも覚えていたい」と五十路に入った彼女は歌う。
 時は年とともに加速度的に早く過ぎるとは誰しもいうことだが、わが身をもってそれを感じ取れるまでにはそれ相応の時の流れを経験しなければならない。

 何度も「はらから」で紹介した、平成二年、五十歳でその人生を終えられた富山の先輩住職のご子息の仲人をこの六月、勤めさせていただいた。当時高校生だった彼が今花嫁を迎える、その晴れがましい席に連なりながら、十七年前の葬儀のとき、涙と必死に格闘しながら喪主の挨拶をしていた彼の姿が思い起こされた。そしてご住職亡きあと、由緒あるお寺の法灯を絶やすことなく灯しつづけてこられた坊守様の十七年を思い、仲人の挨拶も途切れがちになってしまった。

 先輩の口癖が「あえてよかった」であった。思えば、私が今こうしていのち賜り生かされてある事自身が、まさに稀なご縁の賜物以外のなにものでもない。そしてそれはすべてのいのち、すべての存在に共通する事実である。自らのいのちの不思議さに思いを致す事ができるようになったとき初めて、人は他者にもその眼差しを注ぐことの尊さを知る。

 その眼差しの温かさを尊さを私達は阿弥陀様の大悲の智慧によって知らされた。自分の上に注がれつづけてあったその眼差しを知らされそれに気づくとき、同じ眼差しがすべてのいのちに注がれていたことを知る。

 電光朝露(でんこうちょうろ)のいのちと仏教は説く。いなずまや、あさつゆのように人生ははかないという。人生は決して長くはない。しかしそれは決して単なる悲観論ではない。電光朝露のいのちであればこそ、その一瞬のきらめきにもにたいのちをいとおしむように大切に想いつづけていてくださる如来様のお慈悲を喜ばしていただこう。
同時に私はそのお慈悲を頂いたものとして相応しい生き方をしているだろうかという申し訳なさも思う。

 「尊いいのち」とは言葉としては誰もが知っている。しかし他人どころか、肉親すらそして自らのいのちをも傷つける風潮に満ちた世相を思うとき、私自身は自分のいのちのかけがえのなさに出遇っているか、遠回りであっても一人一人がそれを問い、それに気づくところからしか道は開けないと思う。    住職
2007/04/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (1:50 pm)
千福寺本堂が昭和二十年の福井大空襲で灰燼に帰し、再建へ向けて着工したのが昭和三十五年。翌三十六年に完成して今年で四十七年目を迎えます。
 その間、大幅な改築として、平成二年に本堂西側下屋の拡張と仰拝階段の屋根増築工事を行いました。

 そしてその後も屋根の瓦の部分的な補修工事を行ってきましたが、一部屋根の雨漏りなどが止まらず、専門業者に見てもらい、この際全面的な葺き替え工事が必要ではないかというアドバイスをもらいました。

 昨年の定期門徒集会で葺き替え工事について審議していただき、その後総代会、そして門徒会館建設の際、多方面にわたり相談に乗っていただいた会館の運営委員の皆様にもご検討いただきました。その検討意見をもって本年度の定期門徒集会(二月十一日開催)において、各地区代表の皆様に審議していただいた結果、屋根の葺き替え工事に着手するということで結論に至りました。
 門徒の皆様にとって、本堂とはまさに中心となるべき心のよりどころであり、永く後世にまで聞法の道場として維持されなければならない大切な空間であります。

 門徒集会の場で、「その大切なお御堂の修復に私達の代に関わらせていただくことはありがたいことであり、また私達の責務でもあります」という尊いご意見もいただきました。

 ところで屋根の全面葺き替えを行う場合、本来ならお寺に一番相応しく調和するのは、創建時の材質すなわち瓦葺であろうことは、どなたも一致するご意見だとは思われます。その点が総代会、定期集会でも議論されました。しかし材質に関して、現在の屋根を支えている鉄骨が当時はそれで建築基準をクリアーしていたであろうが、現在の基準から言うと、相当の補強工事をしなければならないという専門家の意見でした。
 よってこの際、総重量からいうとその十分の一以下の重量で済み、現在の鉄骨でも充分にその重量に耐えられるカラーステンレス葺きの屋根にするということで結論を得ました。
 また銅板葺きも検討されましたが、昨今の酸性雨を勘案すると酸性雨にも強いカラーステンレスがよいであろうという皆さんのご意見であったことも付記しておきます。 

詳細については別紙趣意書をお読みいただき、趣旨をご理解のうえ、何卒のご協力をお願い致します。        住職       
2006/10/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (2:10 pm)
   苦難の人生を支えたもの

飛騨高山の中村久子(1897〜1968)さんゆかりの真蓮寺を訪れた。両手両足を脱疽という病で失いながら、七十二年の生涯をとおとく生き抜かれた念仏者である。
 生前の中村久子さんをご存知の真蓮寺ご住職の法話を聞き、あらためて彼女の人生を支えた親鸞聖人のみ教えの確かさを思った。

 彼女の父は愛情豊かな人で、周りから「だるま娘」と陰で呼ばれていた彼女を何としてでも自分の手で育てとおしてみせると頑張った。
 彼女を思うあまりであろう、当時飛騨の地に入って来たある宗教にすがり、経済的に辛い中からも功徳を積めば何とかなるのではないかと入れ込んだ挙句、大きな借金を抱え結局所帯を失うと同時に、自分も急逝した。

 彼女の苦難はその後も続く。両手両足のない子が生きるためには何が必要か、母は心を鬼にして当時の女性が身に付けておかねばならなかった生きる上での術(すべ)をしこんだ。
 書道・裁縫など、極端に短い両手と口とを使いながら健常者以上に見事にやってのける彼女のわざは、結果的ある時代には見世物小屋に身を置きながらではあっても、自立していきることのできる力となって経済的には彼女を支えた。
 しかし本質的に彼女の一生を支えとおしたのは、歎異抄を通して知らされたお念仏の世界に他ならない。

 信仰をもてば、信心すれば、この失った両手両足がトカゲの尻尾のように再び生えてくるか。そんなことはありえないとは、赤ん坊のころから数え切れないほど何度も願い、その願いに裏切られてきた彼女の身体自身が一番身にしみて知り抜いていた。
 ご住職のお話の中で、一番心に深く残ったのが、彼女は自分の今の現実から逃げなかったということ。両手両足がないという今の事実を見据え、それを引き受ける覚悟がお念仏によって彼女のうちに恵まれたのである。

 信仰の救いを「要するに心の持ちようなんですね」と受け止め、あるいはそう口にする人がある。はたしてそうか。両手両足を失い、しかし常人以上の仕事をこなし、また障害を持つ人に連帯し、お念仏との出会いを感動を込めて伝えつづけた中村さんの信仰は「心のもちよう」などという浅薄な言い草の中におさまるものでは決してない。

 のた打ち回るような苦しみ悲しみがいかに転ぜられていったのだろうか。
 しかしこればかりは、私たち自身が、彼女ほどの凄惨な苦労ではないにせよ、悩みを抱え涙を流しつつ生きる中から、お念仏にあい、自らの人生の歩みの中で確認してゆくより他はあるまい。味は口にその食べ物を入れなければわからぬように、お念仏の救いもお念仏することによってしか確かめる事は出来ないのだから。    住職
(写真は中村久子さんが縫い上げた羽織)
2006/07/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (2:10 pm)
ここへ来てオカルト的な要素を取り入れたテレビの番組がそこそこに視聴率を稼いでいるという。
 新聞でもテレビでも、今日の占いを掲載し放送している。

 お寺に自らの足を運んで仏法を自らの身にかけて聞こうとする人が確実に減り、お手軽に安直に自分の人生をあるいはその一部をテレビの占い番組などに委ねる人が増えている。どこの誰かも知らず、ただ頻繁にテレビに出ているというだけで、私の人生に責任をとってくれるわけでもない人物の占いや、宣託に耳を貸し、影響されて怖くないのだろうかとさえ思う。貴方の前世が見えるという霊能者もいるらしい。

 宗旨は異なるが、平安時代に弘法大師空海という史上空前の天才が日本に出現した。空海の著述に秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)というものがある。その序分に「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりにくらし」という有名な言葉がある。

 人はみな生まれることを繰り返し、死ぬことを繰り返しているが、しかも生死のもつ本質的意味にめざめることをしないという厳しい指摘である。
 問題なのは前世ではない、今なのだ。このいまのいのちに本当の安らぎをもたらすものは、死に臨んでも色あせる事のないいのちの意味と方向を知ることである。何のために生まれてきたのか、どこへ向かって生きてゆこうとするのかを問い続けるより他に、真実の平安に至る道はない。

 マスコミに従事される方に対して失礼な物言いになるが、今のテレビの流す番組のうち、人間をして高める方向性をもつどころか逆に、人間の持つ一番卑しい浅ましい面に取り入って視聴率や売上を伸ばそうとしているものがあまりにも多くないだろうか。何を大切にして生きるべきなのか、真に何をよりどころとして生きるべきなのか。混迷は益々深まり、時代は明らかにその目指すべき方向性を見失っている。

 我田引水といわれようと敢えて言いたい。私達が頂いているお念仏は、占いやまじないや現世祈祷に振り回される心から自由になり、たとえおぼつかなくとも一歩一歩地に足のついた生き方に導いてくださる教えである。地球上に六十数億の人が生きていて、その中に生まれたての赤ちゃんから、働き盛りの人、まさに今息を引き取ろうとする人まで皆掛け替えのないいのちをいきておられる。占いなどの一時の気休めで人は救われる事は決してない。自らのいのちを充実して生きること、それが自らのいのちに対する責任である。テレビの視聴率稼ぎに駆り出された霊能者とやらが代わってくれるわけではない。

 私達はかたじけなくもお浄土へ帰るいのち、仏となるべきいのちであることを知らしていただいた。そこに真の安らぎがあることを知りえたものこそが真の自由人ではないか。      住職
2006/03/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (12:00 am)
二月には如月(きさらぎ)という呼び名がある。二月七日は四三歳でその生涯を終えられた、本願寺二十二代門主、明如上人の妹で九条家に嫁がれた九条武子婦人の御命日であり、この日に西本願寺では如月忌(きさらぎき)と名づけて全国の仏教婦人が本山に会しての大きな法要が営まれている。

 明治二十年、大谷家に生まれ二十二歳のとき、九条家に嫁がれた武子夫人は、恵まれた華族の生活を安穏とむさぼることなく、仏教の精神をバックボーンに仏教婦人会の全国組織化、社会福祉活動にその生涯をささげられた。
 それまで尼講と呼ばれていた各地域各寺院の婦人の聞法の集まりを仏教婦人会と命名し、全国組織にまで育て上げ、また今の京都女子大学の前身である京都女子専門学校の設立に尽力された。

 大正十二年九月一日、未曾有の大地震が関東平野を襲った。当時築地本願寺の一角に夫の九条良致(よしむね)氏と住まわれていた武子夫人は、自らも被災していながら、日本のボランティア活動の先鞭をつけたといわれる、救援活動にその身をささげて目覚しい活動をされた。九条武子夫人の著作で、大正時代の大ベストセラーとなった随筆集「無憂偈」(むゆうげ)の印税をなげうって、被災者救護施設を設立。後にそれが「あそか病院」となる。現在でも病院設立の基本理念に「病める人の母となり友となって、施療とともに精神的な安らぎを与えること」とある。
 ただこの時のご苦労は確実に武子夫人の体を蝕んでいた。昭和三年二月七日、数え年四十三にしてその生涯を終えてゆかれた。
 臨終の枕もとに駆けつけられた次兄の真宗木辺派の門跡である木辺孝慈師に最後の法話をお願いされた。
 木辺師は「最早やこの世の人としてはお別れせねばなりませんが、どうぞお慈悲にすがって お浄土におまいりなされますように。次に起こすは、還相回向のはたらき、どうか再び娑婆世界に還って、弥陀大悲のおいわれをお伝へなされるやう」と法話をされた。
 武子夫人の最後のご返事が「また来ます」というものだったという。
 今生の別れは決して永遠の別れにあらずして、仏として生まれ変わる一つの契機。亡き人は私の上に仏として働きつづけていてくださる。
2005/10/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (12:20 am)
千福寺本堂の正面上部に立派な額がかかつた。
彫られた文字は「大悲無倦(だいひむけん)」
親鸞聖人がお書き下さったお正信偶の中の、源借僧都(げんしんそうず)のお徳を称えられた「大悲無倦常照我」の句からいただいた。揮毫は、毎年千福寺にご出講いただいている梯實圓先生によるものである。

 大悲とは大いなる如来様の慈悲の事。衆生の苦悩・悲しみをあたかも我が事の洋に受け止め、その苦悩、悲しみを除かんとしてはたらいておられる活動相を大慈悲という。
 無倦とは、倦怠ということの反対の意味で、飽きることがなく、ものういという事がないということである。この私を倦むことなく、何よりも大切に念じつづけ照らしつづけていてくださってある、如来様のお心を、これほど端的にあらわしている言葉を私は他に知らない。
 私の心とは、縁に触れればどんなに堅い決心でも、もろくも崩れ去るようなたよりないものでしかない。
 幼いときも壮年のときも、老いたるときも、浅ましい煩悩に狂わされ自分自身を見失いそうになつたときも、片時も離れることなく倦むことなく私を包み頼らしつづけていてくださる慈悲のみ光があつたことに気づかされたとき、私は生きてゆける、そしてこのいのちを終わってゆける。しかもそれは私にとっては死を意味しない。無量寿といわれる永遠のいのちの世界に生まれてゆくことだったと知らされた。
 この言葉の持つ響きの何と温かく、また力強いことか。しかしそれはこれ以上もなく厳しいものでもある。何故なら大悲とは誤魔化しがきかない如来様の眼差しであるからである。
 揮毫して下さつた梯 實圓先生は、かつてこんな言葉で、大悲に包まれて生かされるものの姿勢をお示しくださったことがある。

「如来さまとは、時と所を超えていつも私と共にいて下さる方です。
私のすペてを知り尽くして私を凝視したまう厳しい智慧の視線を感じるとき、私は身震いするような畏れにうたれます。
しかし、如来さまの慈愛のまなざしは、あさましい私のすべてをそのまま受け容れて、春の陽光のように暖かく包みたまうとお聞かせにあずかるとき、私は私のすぺてを知り尽くした方に、身をまかせるようになります。
如来さまの厳しい智慧の眼と、暖かい慈悲のまなざしに見守られている事を実感するものは、撤慢にもならず、卑屈にもならず、遠慮もせず、気ままもせず、おおらかに、しかし慎みふかく生きようと心がけます。
そして死は浄土に生まれていく機縁であると領解して、死を受容することともできます。」と。


 ある方は、こう味わわれた。お念仏に出会い、私という人間は敏慢でそのくせいじけやすく、一見、遠慮深そうな格好はするものの本当は横着者であることに気づかされましたと。
 如来様のこの温かく厳しい眼差しに私たちは念仏者として育てられつづけるのである。
2005/05/01
カテゴリ: 寺報はらから : 

執筆者: senpuku (11:10 pm)
あの人は「仏さんのような人だ」という言い方で人を評することがある。
住職の故郷である鹿児島でもそうした言い回しを子供のころ耳にした。そうした言い回しは勿論福井でもかつてはあった。

 「仏さんのような人」とは、具体的には自分の都合や欲を後回しにしてでも、他者の悲しみや苦悩に共感し、少しでも手を差し伸べようとする慈悲の心を感じさせるような方のことであろうか。
 
 仏教とは仏様が説かれた、この私が仏様になる(=成仏する)教えである。そして仏とは、他者の悲しみ・苦悩をわが事と引き受け、あなたは幸せになってください、あなたの悲しみは、苦悩は私が引き受けます(梯 先生の言葉)と言い切ってしかもそれを実践できる者であると仏様自らが、明かされた。

 私たちには想像することすら及びもつかないようなかくのごとき崇高な願いに生き、他者の救済活動の中に自らの喜びを見出し、しかも一切それを誇らない。仏教はそれが一番尊い生き方であることを教えている。

 仏教を聴くまでは、仏様の心に聞き触れるまでは、せいぜい自分の思いの中にしか生きる意味を見出せなかった私に、その私の苦悩と悲しみを見据え、共感し寄り添い、この私を幸せに出来なかったら自らも悟りを開いた仏陀と呼ばれる資格はないという願いを掲げて立たれた方を阿弥陀仏と呼ばせていただく。

 見るのも、聞くのも、思うのも自分であり、あたかも自己を確立することが人間の一番の生き方であるかのごとき迷妄に生き、終わっていかねばならない筈の私であった。その私を目当てとして、私以上に私を大切に思い続けていてくださる方があることに気付かされ、その願いに感動しその御心の前に頭を垂れる人を仏教徒という。同時に仏教の歴史とはこうした仏様の願いの前に額(ぬか)づいてこられた方々のいのちの歴史でもあった。

 頭を垂れたからといって、私が仏様に近づいた訳では決してない。仏様のお心に感動する心は、私が起こしたものであろう筈がないではないか。命尽きるまで自己中心から一歩たりとも離れることのできないのがこの私である。

 私たちが頭を下げる時を思い起こしてみよう。感謝のお礼をするときであり、またお詫びをするときである。かくも崇高な願いを掲げこの私を仏様の子として呼びかけてくださることにたいするかたじけなさと有り難さ、しかしその願いをかけられながら仏様の子らしからぬ生き方しかできぬ自己の浅ましさを慚愧するこころ。

 良いことをしても誇らぬ、自分の感情に振り回されぬ、しかし凡夫でしかない自分の分際をしっかりとわきまえた方を「仏さんのような人」と私たちは親しみと敬意を込めて呼んできたのであろう。 


写真は因幡の源左同行
(お手次ぎ寺願生寺様本堂にて) 
因幡の源左同行について知りたい方は、源左(げんざ)で検索してみてください。源左さんに関するたくさんのエピソードがアップされています。 

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